年をとるのも悪くない? The Sense of an Ending 終わりの感覚 — Julian Barnes

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年をとるのはちっとも嬉しくないけれど、いいこともあるのに気がつきました。それは波長の合う作家と一緒に年を重ねていき、筆致や作品づくりの変化、またライターとして完成・老成していくプロセスを、自分の人生にとりこんでいくこと。読書の醍醐味のひとつとして数えられるのではないでしょうか。

ジュリアン・バーンズが出した本は、過去20年の間に15冊読んだにもかかわらず、2011年ブッカー賞を受賞したThe Sense of an Ending(邦訳:終わりの感覚)を2013年になって読んだ経緯は長くなるので省略します。

引退してそれなりに穏やかな生活を送る60代の男、トニーが1960年代を過ごした学生時代の逸話を1人称で語る小説。そう聞くと自己満足と感傷に満ちたのっぺりした話を想像してしまうでしょうが、小説の構造のあり方に挑戦し続けてきたバーンズならではの、ほとんど3Dといえるほど緻密に組み立てられた小説。

冒頭、転校生エイドリアンが加わった仲良し4人組高校生の様子が歴史の授業を通して鮮やかに、そして淡々と描かれます。そのさらりとして筆致にすらすらと読み進み、その会話にでてくる台詞がこの小説のテーマであることは終盤になって気づかされます。
大学生になったトニーはヴェロニカという女学生とつき合い始めるものの、その恋はエイドリアンとの三角関係によって終わりをむかえる。

学生時代のエピソードがほぼ時系列に並べられる1部。2部では語り手であるトニーは老境に達しており長い歳月がすっぽりと欠落しています。ストーリーを追ってきた読者は、第2部で自殺したエイドリアンの日記の謎を突きつけられ、昔の記憶と事実を照らし合わせて謎ときをするトニーの後を追って最後までぺージをめくり続けることになります。

ははん、これは京極夏彦の「姑獲鳥の夏」みたいに、あったものが見えていなかったとか思い出せなかった類いの話にちがいないと、やや上から目線で読み進めていったものの、結末のもっていき方が非常に巧み。読み終えたとき、謎を追う主人公を追いかけてきた過程そのものに意味があったのだと理解させられるのです。

そして、最後の1節でぴたりと着地させる職人技。上質な時間をくれてありがとう、と手を合わせました。読了後必ず第一ページをめくり、伏線を拾うためにまた1から読み始めてしまう本。

ストーリーの鍵であり、テーマでもあり、一般論としても心に残る文章がいくつも出てくるのですが、それは読む人が自分で拾っていくべきものなので、ここに書き出すことは敢えて避けることにしますね。

これまでに読んだ本の中でトップ10に評価するほど自分のツボにぴったりはまる本ですが、結末はすっきりもしないし、パッピーでもない。また、この本が若い読者にどれだけアピールするかも疑問です。少なくとも自分が二十代の頃に読んでいたらこれほど評価しなかったと思います。これは歴史観の小説です。だから読み手の中に、あいまいな記憶に裏打ちされた歴史、という感覚がある程度存在しないと共鳴しないと思うのです。だからといって読んだ後、古本屋に売ったり人にあげることはお勧めしません。10年とか20年とか経って、読み返してみると必ずより心に響いてくるものがあるはず。再読してみて新たな発見をすることも、読書のよいところのひとつなのだから。作者と同じ60代まで生きることができたら、また違う読み方が出来るのでしょうね。

邦訳版はこちらです。

ブッカー賞受賞作という話題性を理由にこの本を手にした読者が多いと思うのですが、ジュリアン・バーンズをもっと読んでみたい人向けに以下の作品をご紹介します。日本の洋書ファンに絶大な人気のポール・オースターに例えると、Brooklyn folliesでオースターを初めて読んだ人にニューヨーク3部作をすすめるようなものでしょう。つまり、この作家らしさが強くにじみ出る作品だけれど違和感は大きいよ、ということで、この作家の原点を知りたくてしかたがない!という人にはよいイントロダクションになるけれど、メロウな作品を期待している人向きではないので念のため。


Flaubert’s Parrot (フローベルの鸚鵡) 1984年
「ボヴァリー夫人」の作者であるギュスターヴ・フローベール(フロベール)についてのリサーチをする追っかけ男の話。フランス語の知識があればより面白いはず。小説とか評論とかいう既成の概念を打ち破ったジャンルを超える創作。知的な刺激にあふれるバーンズの真髄というか原点的作品。.

A History of the World in 10½ Chapters (10 1/2章で書かれた世界の歴史) 1989年
史実を全く新しい観点で大胆に書き直したりちりばめた教養的かつエンターテインニングな短編集。バーンズ節ともいえる辛辣なユーモア炸裂。文化/宗教/歴史の幅広い知識が要求される。.

Talking it Over (ここだけの話)1991年
ふたりの男とひとりの女による1人称の語りのみで構成。すらーっと読めるとっても軽い調子の口語体。この本はバーンズの作品群の中ではそれほど有名な本ではありません。でも、凡庸な男+インテリジェントで才気煥発な親友+女の三角関係は、The Sense of an Endingとかぶるモチーフ。それがまったく違うスタイルで調理されているので、20年の歳月を経た作者の成長というか進化をみる比較研究素材として読むと面白いでしょう。

わたしの知性と教養レベルはオックスフォード出のインテリ作家である著者の100分の1にも満たないが、彼の作品たちはそれがあたかも倍増した気分にしてくれます。

話は標題にもどりますが、このペーパーバックの装丁がまたなんともハンサム。ページの横(背表紙ではない方)が黒なのがまたよい。150ページの薄い本で、巧妙に埋め込まれた伏線や日記の謎の解釈など、読んだ人同士で話す材料は山ほどあり、読書会の課題本にうってつけ。でも、読書会のルールその1に反するため既に読んだメンバーから借りて読み、やっぱり自分用に1冊欲しくてアマゾンでオーダーしました。そしたら、版が違うと表紙の紙質が劣化していて実にがっかり。借りていた本は表紙が打ち出し模様(エンボス)入りなのに、新しい方はのっぺりツルツル。本の価値が全然違います。インフレの影響は出版業界にも如実に現れていますね。

12 コメント

  1. こんばんは^^
    記事、じっくり拝見させて頂きましたー
    もちろん、私は洋書は翻訳本しか読めませんが
    翻訳家さんとの相性とかもあるのかな~
    なかなか良い本に巡り会う事が出来ませんですよ
    自分は年を取って、良かったなと思うのは
    本にお金を掛けられる様になった事かな~
    若い時はもう、遊びに使ってしまって(笑

    ジュリアン・バーンズさん、
    初めてお聞きする名前ですので
    今度、図書館に行ってちょっと見てきます~^^
    ずっと前に冒頭を読んでなんだかな~とそのまま放って置いた小説を
    先日、何かのきっかけで読み始めたらおもしろかったと言う
    事がありました^^;

    • フォレさんってめちゃめちゃ若い方だと思っていました。では、ちょっと若い、っていう程度なのかな。

      確かに翻訳本は非常にナチュラルな日本語に変えてしまうと原本からかけ離れ過ぎでしまうし、かといってオリジナルの言語がしっかりみえてしまう訳では違和感ばかりおぼえてしまう。加減がむずかしいですよね。わたしもバイトで翻訳もどきをたまにやっていますが、まるっきり節を抜いてしまったり、説明を入れたり、言葉をこねくりまわしています。

      フォレさんもおすすめ本を、またブログで紹介してくださいね。美しい日本語の本が読みたいです!

  2. この小説、新潮クレスト・ブックスで翻訳本が出ていたので、気になっておりました。
    ブッカー賞受賞と聞くと、ついつい反応してしまいます。ブッカー賞で反応して以前、
    ジュンパ・ラヒリを知り、今では「新作が出たら必ず読む!」お気に入りの作家さんになりました。
    「新作が出たら必ず読む!」のもうひとりがカズオ・イシグロでございます。

    最近はどうも再読が多くなり、新作を読んでいないもので、
    今年はこちらで紹介されている本を、いくつか読んでいこうと思っております。

    結末がはっきりしなくて、ハッピーでもない、ってところに、なんだか惹かれちゃいます。
    読んだあとに勝手にその後を想像したり余韻に浸れる小説が、最近の好みでございます。

    • ジュンパ・ラヒリは読んでみたいと思いながら手をつける機会がないままです。イギリス人ってアンチアメリカンなのでその影響も多々あります。1冊目にはどれがおすすめですか。カズオ・イシグロは全部読みましたが、寡作なライターですよね。そろそろ次の本が出ててよさそうなものです。再読が多いのは同じです。でも読書会に入っているおかげで自分では絶対に買わない本を読む機会があるのは、視野を広げてくれていいんですが、時間の無駄っぽい気になることも。ご紹介した本、もし読まれたらぜひ感想を聞かせてください。

      • あ、ジュンパ・ラヒリはブッカー賞と関係なかったですね……、
        なんか勘違いしておりました。ブッカー賞はカズオ・イシグロだった……。

        ラヒリさんの一冊目としたら短編集ですが、『Interpreter of Maladies』がお薦めです。
        カズオ・イシグロは『The Unconsoled』だけ、まだ読んでおりません。
        あの本の厚みを見ると、ついついたじろいでしまいます。早く新作出ないかなあ。

        まずは、ジュリアン・バーンズを読んでみようと思います。

  3. Interpreter of Maladiesを図書館のオンラインサービスで予約しようとしたら、50セント請求されました!!予約料をとるシステムに変わっているうえに、通貨が違ってどうするんでしょうね。中国かインドでプログラムされたものと思われますが、チェックしてない。苦情きてないのかしら。とにかく借りてみますね。

  4. Julian Barnes さんの The sense of an Ending 読みました。
    最近でかけたタイ旅行に持参する本、2冊のうちの1冊としてこの本を荷物に入れました。往路、機上で半分を読み、帰宅してから残りの半分で昨日終了。

    最後の展開に驚いて、現在、頭は、最後の展開と最初の章との間をいききしています。

    Barnesさんの品のいい語彙えらびと、文章、飾らない低飛行的姿勢がとても気に入りました。紹介していただいてどうもありがとうございました。実は、この方、知らなかったのです。

    それで、さっそく、次はTalking it Overを借りてきました。私はどちらかというと、ノン・フィクションの書き方に興味があるのですが、書架にあったBarnesさんのジャナリズムのLetters from Londonにも惹かれました。でも、こちらが読みやすそうですし、whybee01さんの推薦にもありましたので、こちらにしました。

    • 釉子さん

      旅行に持っていく本を選ぶ作業は楽しいもの。そして本を読む場所はいろいろありますけど、わたしの好みでは飛行機の中が好きな場所のトップになるかも。それも行きの飛行機。2番はプールサイドや海辺です。タイ旅行はいかがでしたか。人がいいし、食べ物もおいしいしいい国ですよね。

      自分の好みですから、この本は嫌いな方ももちろんいるはずですが、読んでよかったというコメントを聞くとうれしいです。ありがとございます。

      Talk it Overはかなり軽量で、えっという感じがすると思います。わたしとしてはバーンズ第1作がこれで、20年たって同じ人物設定でThe Sense of Endingというmatureかつ、 gimmickyでない正当派の小説に練りかえられているのをみて、なんだか人生が一巡したような感じをおぼえたのです。

      日本語訳が気になったので、日本語訳を読まれた森のくまさんにお聞きしたところ、最後の1文はこうです。

      There is accumulation.There is responsibility. And beyond there, there is unrest. There is great unrest.

      「累積があり、責任がある。その向こうは混沌、大いなる混沌だ」

  5. 森のくまさんのご親切を私にも分けてくださって、ありがとうございます。なるほどね。日本語ではそんな訳なのですね。

    数日前、私もドカンとAmazonに注文をしました。このところ、豪ドルが強いので助かります。注文書の中に「終わりの感覚」を入れようかなと思いましたが、何故か入れませんでした。でも、近いうちに原書に手を伸ばすであろうと思った「10.5章の世界の歴史」は入れておきました。このところ、すっかりBarnesさんかぶれです。お蔭さまで。

    本当に、機上では読書に邪魔が入りませんものね。今回、往路は窓側席でした。よほど熱を入れて読んでいたとみえて、アテンダントの食事、飲み物の注文取りの声も耳に入らず、隣席の男性がその都度、トントンと肩をたたいて教えてくれました。

    村上(春樹)さんには自宅のどこかに、かっぽりと隠れたように身をおける読書の場所が確保してあるのだそうですね。それで、その場所に置く椅子選びにいかに心をくだくかが書いてあるのを読んだことがあります。

    読後に、その後のなりゆきを想像して余韻に浸れる終わり方が好き、という森のくまさんのお話ではないのですが、今、私もそれをやっています。Tonyはvelonicaに連絡を取るのではないか、否か。「責任のあとの、でもその向こうにある混沌、大いなる混沌」ですか。取らないかな~。あるいは、Barnesさんはこれを練り変えて、別の小説を書くのでしょうか。読書後のこういう状況が本当に贅沢で楽しいですね。

  6. おはようございます!
    こちらでSunnysiderさんのブックリポートを拝見するのは、私の楽しみになってます!夢中になってしまうような本や、読んだあともその余韻に浸ってしまうようなものに出会うことって難しいです。特に洋書だと、この星の数ほどあるものの中から、一体どうやって?!と。
    Julian Barnesさんの本をこうして詳しく紹介してくださって、嬉しいです。書き留めました♪
    相方が本が好きで、まぁ、色んなものを昔から読んできているので色々と薦めてくれます。が、時々、女性の意見も聞きたいなって思ったりするのです。今はフォード・マドックス・フォードのThe Good Soldierを読んでます(古いのでEbookだと無料ですね)。これを読み終わったらJulian Barnesさんの本を借りてみます!

  7. papricaさん

    コメントをいただいていることをすっかり見逃していました!
    わたしは多読家ではないし、自分が思ったことをはっきりするために書いている(本のことは特に)ブログなのでいやーっ、こうやって持ちあげて頂くと木に登るブタになってしまいます!うれしいです。この本は今年読んだ中でイチオシです。読んだ後に余韻に浸って、巧妙に埋め込まれた伏線を探しにまた読みたい気になります。

    そのジュリアンバーンズがマドックスフォードを敬愛しているという記事を見つけたので、次はThe Good Soldierいってみます!おすすめありがとうございます。
    http://www.guardian.co.uk/books/2008/jun/07/fiction.julianbarnes

    再来週イアンマキューアンの講演会にいくので、そっちもそのうちブログに書くつもりです。チャオ!

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