The Killersと宗教から始まったネットサーフィン

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はじまりは古新聞の1ページ。
わたしのベッドサイドテーブルには読みかけの本や目を通すつもりの新聞が乱雑に積み重なっていて、意を決して埃をかぶったその山を片づけることにした日曜日の午後のこと。まずひっぱりだしたのが4ヶ月前のThe Guardianで、The Killersのフロントマンであるブランドン・フラワーズのインタビュー記事が載っていました。4作目のアルバムBattle Bornが出た後で、やんちゃな表情の写真つき。個人的には第1作のHot Fussが一番気に入っています。どのアーティストもデピューアルバムには『らしさ』と伸び盛りのパワーが凝縮されていると思いませんか。

ブランドン・フラワーズが敬虔なモルモン教徒であることはしりませなんだ。記事は同じく宗教をもつミット・ロムニーとの会食やリチャード・ドーキンスとのテレビインタビューにふれていました。スエーデンの番組でABBAのベニーとウルリカ・ジョンソンも一緒というのに興味をそられ、ラップトップのスイッチを入れたわたしはYouTubeでそれを発見。リーチャード・ドーキンスといえばThe Selfish Gene「利己的な遺伝子」The God Delusion「神は妄想である」の著書で有名なオックスフォード大学の生物学教授で、宗教vs科学のディベートを何十年もやっている無神論者の親分的論客。ぐうの音もでずブランドン早々に退場。(お気の毒だけどこうなることはわかっていながら設定したマネージャーは商魂たくましい)インテリやファナティックな宗教人相手ではなく、軽いのりの司会者相手のドーキンスの応答には意外に楽しませてもらいました。

ドラッグもアルコールもやらない3児の父で、かつ黒のレザージャケットを着たロックミュージシャンであるブランドン。つまり宗教とロックいう組み合わせに違和感をおぼえ、rock and religionを検索する。ある意味ではロックそのものが一種の宗教ではないのか。はじめにヒットしたのがrockandreligon.com。ファッションブランド。そういう的外れなものばかりで、ガチに音楽論を語るブロガーや音楽評論家の記事に行き当るには時間を要すると判断したわたしは、REMの Losing My Religonを口ずさみながら、本棚の奥からSelfish Geneをひっぱりだしたものの、ぎっしりつまった小さいフォントに目眩がしてもとにもどす。宗教観が異なる日本ではドーキンスはどういうあつかいなのかと検索をはじめ、松岡正剛の書評に行きつきます。

ドーキンスと渡り合えるのは誰だ。カンタベリー大主教か。また検索。でてきたYouTube。オックスフォード大で行われた前カンタベリー大主教ローワン・ウィリアムズとの対決、88分。20分ほど聞いたがこりゃあ長い。再度検索し、前回ケンブリッジであったディベートの結果は宗教の勝ちだったと報じる新聞記事を発見。そしてYouTubeにもどる。

おすすめビデオが目に入る。オリバー・サックスの幻覚に関する講演会。臨床経験を基にした著書を多数執筆している神経医で、 The Man who mistook his wife for a hat 妻を帽子とまちがえた男A leg to stand on 左足をとりもどすまでの2冊しか読んでいないけれど、この人の患者になりたいなんて妙なことを考えてしまうほどの好人物。こちらも視聴。

はたと気づくと目のまえの埃まみれの山はちっとも減っていないのに、相当な時間が経っています。そこで、ある本のことを思い出し、アカウントを作ったままほったらかしにしている数多くのサービス/アプリのひとつである本の書評サービスのパスワードを引っ張りだして、ずいぶん前にスコアをつけた本のタイトルを探し出しました。

41G+5ePsPCL._BO2,204,203,200_PIsitb-sticker-arrow-click,TopRight,35,-76_AA300_SH20_OU02_The Shallows: How the Internet is Changing the Way We Think, Read and Remember by Nicholas Carr.

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること (著)ニコラス・G・カー

The Shallowsをネット・バカと訳すのは行き過ぎの感がありますが、本は商品だからキャッチーなタイトルをつけるのは仕方ないんでしょうね。インターネットがないと落ち着かない、長文解釈の能力と集中力の低下を感じる筆者が、ネットがとどかない山奥にひきこもって執筆したという読み物。テクノロジーが人類に与えてきた影響(活版印刷など歴史の話)、ネットが脳神経に与える変化、グーグル帝国がいかに築かれたか、などトピックを絞った章で構成。実際に斜め読みが増えたし、目がリンクを追ってしまう、情報の表層だけを目とカーソルでなぞっている、と身につまされます。

マイナスとしては、筆者はジャーナリストであって脳神経の専門家ではないので科学的根拠が弱い印象なのと、41JPKdOpzSL._SL500_AA300_問題提起をしておきながら解決策は糸口すら書かれていないこと。なので興味深い本だけれど、あまりよくない後味。社会の将来はそんなに簡単な展望が開けるものではないにしても。わたしのように人生の半分はネットなしですごした人間は、ビフォー&アフターの比較をします。でも、物心ついたときからネットがある子どもたちの世代はまったく違う脳みそを持っていると思うと恐ろしい気も。それを進化といういい方もあるのでしょうが。

結局わたしはその日の午後、ロックと宗教と科学の表面をかすめただけで、どの領域にも入り込むこともせず、おそらく自分にとってプライオリティの高かった身の回りを片づけることも完了せずに、ネットの海の中に漂っていました。

そう思ってラップトップをきっぱりと閉じて、音楽を聴こうとスマホをとりあげると、メールが入っていて……..

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モノクロ写真好きによる「こだわってるこれについてひとこと言いたい」ブログ。犬が歩けば棒に当たる的に社会・本・映画・フードなど。使用写真は自前です。

10 コメント

  1. 土曜日の午後、新規投稿を拝読しました。難しかったです。でも、私にとってリチャード・ドーキンス氏は割合に身近です。来豪時にオーストラリア・放送協会(ABC)の番組にしばしば招待されて登場します。オーストラリアのカトリック教会の枢機卿の一人George Pellと彼との論争が報道されたことがありました。もちろん、予想どおり、接点なく引き分け。
    この新規投稿での一つの、嬉しい発見は松岡正剛氏のサイトが紹介されていることでした。彼の千夜千冊(今は千冊を超えて、1,400冊目に入っていますが)の目次は、気になる本が出てくると開いてみるサイトです。彼の編集工学の方法というのも気にしていることですが、内容は分かるようで分からない。私の頭脳の限界が見えますね。

    • 釉子さん
      わたしが持っているThe Selfish Geneの表紙に書かれているニューヨークタイムズのブラーブは実に的を得ていると思います。
      “the sort of popular science writing that makes the reader feel like a genius” これはサイエンスの本なので、DNAなどの科学的に突っ込んだ話にもともと興味がないと正直なところ理解は難しいと思います。彼がこの本で意図していることの概要ははじめの2−3章でみえるので、その先はスルーでいいんじゃないんでしょうか。時間がありあまっている時代に字面だけ追って読了した気分でよくわからないながら自己満足だけが残った記憶があります。松岡正剛の書評も難しいですが、内容だけでなく、日本語の熟語に置き換えられた場合に解りやすいものとそうでないものがあると思います。これは後者だと思うんですけどね。ですので頭脳の限界という風にネガティブにとられる必要はまったくないと思うんです。The God Delusionの方は人文学的アプローチでもっと読みやすいはずですが、これも反対派のリバタルを想定してねっちり書かれているので、もし読まれるのであれば、目次で興味のありそうな章をいくつか拾って図書館で読んでみる(わたしはそれで十分でした)ので十分じゃないでしょうか。

      • 今朝、もう一度、ロックと宗教と科学のアフタヌーンを拝読、動画も拝見。 楽しかったです。Sunnysiderさんがトッププリオリティーをそっちのけで、別の興味にのめりこみハット気がつくと、すべてが中途半端でネットの海に漂よっていたというお話、まるで私みたいと、第一回拝読のときにも笑いながら読ましていただいたのです。

        私もREMの音楽を口づさみながらの表現、姿が目にうかんできてこれも微笑みました。なのに「難しいかった」などと、一刀両断で裁いて、結論をだしていました。短絡をお許しください。

        私がロック音痴であることは重々承知しています。Brandon Flowersの名など聞いたこともなかったのです。そしてREMのバンドの名も。知らない単語が並んでいたので、難しいと思ったようですね。態度改めなくては、楽しいことを逃すかも。ブログは肩・肘 張らずに気楽に、そして楽しんでまいります。これからもどうかよろしく。

        動画はとても楽しかった。昨日は、動画は開いていなかったのです。動植物(とくに探鳥)などサイエンスの話は興味分野です。ドーキンスの「利己的な遺伝子」は読みました。竹内久美子さんの遺伝子の本も数冊。

  2. Losing My Religionを口ずさみながら、っていいなあ。R.E.M.大好きなバンドです、2005年の来日のとき、日本武道館であのマンドリンの音が鳴ったときに、鳥肌がたった記憶があります。

    それはさておき、ロックそのものが一種の宗教ではないのか、ってまさに同感でございます。あまり宗教について深く掘り下げて考えたことはないのですが、ロックというか、例えば「こんなときマイケル・スタイプならどんな風に考えるかな」とか「ディランだったらどういう風に言うかな」とか「ギンズバーグならどっちを選択するだろう」とか、そんな風に思うことがあります。あれ?なんだかトンチンカンなコメントになってるような……、ん~、何を書こうとしたんだったっけなあ、「道標」みたいなことを書こうとしたんだけれどなあ……。

    松岡正剛さんの「千夜千冊」のサイトいいですね、ときどき覗きます。
    それにしてもすっかり世界はネット社会になりましたね、ネットが一般的に広がったのがいつの頃だったかよく思い出せないけれど、便利になったことは確かですね~。時々、便利の不便さを感じたりすることもありますが。

    • 森のくまさん
      同世代的(?)コメントありがとうございます。わたしはハーゲンダッツじゃありませんけど(きゃー、ごめんなさい!)
      ちょっとは長く生きていると、人生(この言葉はクサいと思うんですけど代わりが思いつかない)の一部となっている曲がいくつかありますよね。REMのこの曲はそのひとつです。件のthe KillersのHumanもそうです。Are we human? Or are we dancer?という歌詞の解釈が話題になった曲です。音楽(ロック)にはくまさんがおっしゃる通り「道標」みたいな役目を果たしている部分があると思います。

      松岡正剛さんの「千夜千冊」はいいサイトですが、すぐ読みたくなるのが困りものです。海外にいると日本語の本をゲットするのが高いのでそれがまた頭が痛いんです。日本版kindleは朗報だと思ったのですが、海外在住者には5冊以上売らないらしいし。

  3. こんばんは
    動画拝見しましたが…日本語字幕が無かった(笑
    なのでsunnyさんの記事を読み続けました
    ロックも宗教も、なんとなく一歩引いた場所に居る私です
    神様居るのかな~?なんて思いながら三浦綾子さんに共感してみたり。
    科学vs宗教…この二つは両極に存在するものなのですか?
    私は、オトナになってからネットを活用する様になりました
    今ではもちろん無くてはならない存在です。
    ネットに限らず、デジタルの中で息をしている様なものです。

    あ、私もとうとう『終わりの感覚』を読み終えました。
    気の利いた言葉は使えませんが…それなりの感想文を(笑
    物語はトニーが主人公で進むお話ですが、どの人物が
    主人公であってもおかしくない、言い換えると、他の人物目線で
    同じ物語を読んでみたいなんて思いました
    人間とは思い出を自分の都合の良い様に切り取り、つなぎ、塗り換えて
    しまうものなんだろうなぁ、なんて
    自分の行動や思い(願望)が他の人の人生に影響を与えてしまう
    (しかも良くない方に)なんて考えたらなんかどんよりしてしまいそうです
    バタフライエフェクトなんて言葉もありますけど…

    森のクマさんには私も何作もすすめて頂いて居て^^
    で、私も調子に乗って!というか、現代文学が殆どなのですが。
    『時間SFには(ラブ)ロマンスがよく似合う』
    とか使い古された表現かも知れませんが
    宮部みゆきさんの『蒲生邸事件』がお気に入りです
    二・二六事件という歴史の中を進む物語は
    何とも言えない雰囲気に包まれています
    『未来は変えられない』という大前提の中で
    ハッピーエンドに持って行くか、アンハッピーエンドで終わらせるか…
    そこは作者の腕の見せ所(読ませ所)という事でしょうか
    すみません、長々と。。

    • フォレさん
      『デジタルの中で息をしている』これほど的を得た表現はないです。本当に。そしてロックとかジャンルにこだわることすら時代に則していないかな。そしてある類いをオルタナティブとよぶこと自体が。(相当ワインが入った状態でレスしてます!)長いレス大歓迎です。何かしら響くものがあれが嬉しいです。

      『どの人物が主人公であってもおかしくない、言い換えると、他の人物目線で同じ物語を読んでみたい」もディープな感想だと思います。たぶんそれが著者の意図した部分でもあるし、一人称の小説はみなそのツボを抑えていると思います。

      宮部みゆきさんの『蒲生邸事件』は読みました!宮部みゆきさんは個人的に評価が高い作家のひとりです。わたし的には作家は、ライターとストーリーテラー、日本語に敢えて置き換えると、作家と語り部に別れていて,宮部みゆきさんは後者です。二・二六事件をあつかった小説といえば恩田陸のタイムトラベルの「ねじの回転」がありますが、これは読まれましたか?

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