新月とキツネとグレートギャツビー

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みずみずしい新緑が陽の光に映える麗しい日の夜は、庭のパティオで冷えた白ワインのボトルを開けたい。なのに映画なんか観に行ったのは、映画館近くのテムズ沿いをそぞろ歩くのもよかろうと思ったから。快晴が続き気温がにわかに上がると、サンダルを履いてへらへらしたワンピースを着て夜の空気を吸いたい気になる。骨太な男の手を握って川沿いをてれんぱれん歩くのにうってつけの夜だったのだけれど、バズ・ラーマンが監督したグレートギャツビーなんかお断りだといわれて女ふたりで出かけた。

334509634_7e2b79eee2_o-3小説の映画化はたいてい不評だ。小説と映画は全く異なる装置であり、スクリーンに映しだすには、土台からして作りが違うことを観る側がわすれてしまいがちだから。それが特に優れた構築で、小説ならではの魅力を備えた作品ならとりわけそうだ。映画化されて評判がいいのは、原本のストーリーは一般受けしているけれど、小説としての評価が著しく高いものじゃない場合が多い。

スコット・フィッツジェラルドによる原本は実にハンサムな小説だ。これがギャツビーが語る一人称であればお蔵入りしていたことは明らかで、ニックという男による語りでギャツビーという男にサイドから光りを当てて掘り下げていく手法が鮮やか。そのためギャツビーの隣人でありデイジーのいとこという両者との接点を持たせている。静かで良心的なボイスを持つ語り手。これを映画という形に置き換えるには、どのようなアプローチをとるか。70年代にロバート・レッドフォードとミア・ファローのコンビで作った映画があるだけに、新作ならではのデジタルなビジュアルを前面に押し出すわけだ。

ひとことでいえば、膨大な予算を使ったであろうビジュアルスペクタクル。ギャツビーの邸宅の規模のすごさ、パーティの派手さは想像を超えるものだったし、ニューヨークを俯瞰するショット、橋からのアプローチ、そして舞台であるイーストエッグとウェストエッグを隔てる水上をカメラがズイーッ越えていくなど、驚くほどアーティフィシャル。ビジュアルを強調してわざわざ金をかけてそういう作り方をしているのだけれど、死の場面までもデジタルスローモーションでわたしの好みからするとあまりにも作りすぎ。それを承知で行ったのではあるんだけど。神の目を象徴する眼鏡と目の看板もアーティフィシャルで何度も登場するのがいかにも。カーテンがひらひら舞ってデイジーが登場するシーンは、ほほう、とは思った。

どの俳優もみながんばってはいる。でもアクティングそのものもおたがいにしっくりと噛み合っていない印象を受けるのはCGに頼りすぎていることも一因か。ニックの語りは原作そのものの部分が多々あったのはやはり彼のヴォイスなくてはストーリーにはならないから。でもわたしはそのニックを演じているトビー・マグワイアの声が好きじゃないときたので評価がまた下がってしまう。


声といえばイングリッシュローズであるキャリー・マリガンが当時のアメリカ上流階級を思わせるアクセントとボイスだったのが意外。とはいえ、そんな作った喋り方は誰でもできそうでもある。ギャツビーがディカプリオという配役は、現代ハリウッドの俳優陣をみると妥当だけど、デイジー役にキャリー・マリガンをもってきたことそのものが意外だった。でも完成品を観てみるとギャツビーが人生を賭ける女にはなまじっかな女らしさじゃつとまらないわけで、ちょっと違う女優を起用したのねと納得。ベビーフェイスで清楚で中味がなさそうなのに不思議な質量をもつ存在感がある、というのはデイジーに向いていた様子。すごい女優とは様々な役を演じきれる女だと思っていたけれど、他の女優にないクオリティをもっていて役を自分に引っぱりこむ女もすごい女優なのかもしれない。適役はかなり限られてはいるよなぁ。彼女。

自分の趣味には合わない映画ではあったけれど、がっかりしたわけでもなく、豪華絢爛で金曜の夜を楽しめた。コスチュームにも莫大な金額がかかっていて、女を美しく作り上げて撮る努力がすごくて、ここまで持ち上げてもらっているキャリー・マリガンはラッキーガールだなんてこと話しながら映画館を出たら、緑の気配がまったりと漂っている。空を見上げたら月がない。照明が煌々と灯る駐車場で星が見えないのはわかるけど、月がないのはなんでだと酔っぱらいの戯言のように空に向かって難癖つけていたら今夜は新月だった。帰途の田舎道でキツネを2度も轢きそうになる。その度にきゃあきゃあと奇声をあげ、中断するおしゃべり。ああ、夏の夜。

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モノクロ写真好きによる「こだわってるこれについてひとこと言いたい」ブログ。犬が歩けば棒に当たる的に社会・本・映画・フードなど。使用写真は自前です。

12 コメント

  1. 小説を愉しむように読みました。特に映画館へ行く前とその後。
    心地いいレトリック、画が思い浮かぶ描写に、ついショートムービーにしてみたいと思いました。
    でもそれをしたら、この記事の何を読んだのだ?になってしまうジレンマが生まれて、ひとり可笑しがったのでした。

    • nisomaruさん

      夏の匂いに誘われて金曜の夜にふらふらと出かける気分をシェアしたかったわけで、グレートギャツビーの感想はいわばおまけです。レトリックの名手のnisomaruさんにこんなコメントをいただいて光栄です。にっこり。

  2. こんばんは~^^
    きゃっ!グレートギャツビー来ましたね~
    実はクマさんに以前から映画のお話伺っておりました!
    これはリメイク、となるのでしょうか??

    そうなんですよね、原作ありの映画化は本当に難しいと思います。。
    最近日本では、原作がマンガ、というのが流行ってまして
    なんというか、脚本家さんが減ってしまったのかなって。
    小説だと、セリフ無しにただ珈琲を飲むシーンでも
    そのキャラ達の内面が細かく描かれて居たりしますが
    珈琲を啜りながら相手の事を今どう思っているか、とか。
    実写の映画ではそれは無理ですもんね。

    なんて否定しながらも、やっぱり映画好きだったりしますので
    それが好きな小説が原作だったりしたらやっぱ気になります^^;
    金曜の夜に、お友達と映画というだけでこれは
    私テンション上がりまくりですよ~
    そしてキツネにもテンション上がりまくりですっ

    >新月とキツネとグレートギャツビー
    邦題かと思ってしまいましたよ(笑

    • うーむ、原作がマンガだと絵があるだけによけいに映画化は難しいですね。どんな配役にしてもマンガみたいにはならないから。
      珈琲を飲むだけで演技ができる役者は少ないですよねーー。顔だけで演技できるといえばコリンファースかなぁ。わたしが思い浮かべるのは。トムフォード監督のA Single Manという映画で、ゲイのパートナーが死んだという電話を受ける時の顔のアップに、突然の訃報にいろんな感情が浮かぶようすが顔に表れていて、上手いよなーっとうなったのを思い出しました。
      ギャツビーはわたしは上品な小劇場で観ちゃったんですけど、もし観に行かれるんだったら、大規模シネマのでっかいスクリーンで観てください。
      よーし、次の記事のタイトルもがんばります?!

  3. あ、すみません、追加コメントです

    もし宜しかったら、私のブログの方に
    sunnysiderさんのブログをリンク貼り付け
    させて頂いても良いでしょうか?
    日本の片田舎のブログサイトですが…
    宜しくご検討お願い致します^^

  4. グレート・ギャツビー、観られたんですね、
    「観るのどうしよっかなあ」と迷っている映画です。
    『グレート・ギャツビー』はフィッツジェラルドの作品の中で一番好きです、
    と同時に自分が今まで読んだ小説の中で、一番好きな作品でもあります。
    おそらく一番再読しているし、今も台所のテーブルの上に置いていて、
    何かを待っている時間にパラパラと頁をめくったりしております。

    なもので、映像化には過度の期待はしておりません、今のところの映像のイメージは、
    やはりロバート・レッドフォードとミア・ファロー版『グレート・ギャツビー』でございます。
    キャリー・マリガンのデイジー役が気になるなあ、ん~、デイジー役かぁ……。
    『Never Let Me Go』での、キャッシー役は適役だったような気がしております。

    ま、それはさておき、夜が気持ちよい季節になってきましたね、
    「緑の気配」っていい響きだなあ、今度こっそり使っちゃお!Ciao!!!

    • 気持ちはよーくわかります。ギャツビーは読書会の課題本だったのでしぶしぶ宿題みたいにして原本を読んだんですが、惚れました。実によく出来ている上に、英語がまた端整。だから観るのどうしようと思っていたんですが、キャリーマリガンのデイジーを観たくていってしまったようなものです。
      ちなみに『Never Let Me Go』は自分が持っていた原作のイメージとキアラナイトレーがあまりに違いすぎたのと、文字を追いながら行間に浮かぶ奇妙な感覚を映像で壊されたくなかったので観なかったんです。
      うーん、だからくまさん、ギャツビーは観ない方がいいかも。映画をみた後に本をまた読むと、花火ドッカーンとかCGが邪魔する気がします。なんていったら余計にみたくなる?

      ちなみに彼女、Mumfordのマーカスと結婚しましたけど、子どもの時のペンパルだったって知ってました?

      • あらま!ペンパルだったなんて!知りませんでした。なんかいいなあ、素敵な縁だなあ。マリガンらしい感じもするなあ、勝手なイメージだけれども。そういえば今年のフジロックの最終日Mumfordは、VAMPIRE WEEKENDの前に登場です。そして大トリはThe Cure、フェスならではの組み合わせ、と言いながら今年は行かないけれど。

        それにしても、ペンパルってなんか懐かしいなあ、ネットの時代なんて想像もつかなかった頃だなあ、時代は変わっていくなあ。

    • コメントありがとうございます。
      彼女、ベビーフェイスなんだけどフェミニンだし背も結構高くて、不思議な存在感がありますよね。とにかく女性にはコスチュームのゴージャスさがうっとりの映画でしたよ。

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