小津安二郎「浮草」の縦糸と横糸

0

映画と本のベストな出会い。これは、いろんなレビューで先入観が固まることなく、まっさらな状態で対峙することではないでしょうか。でも放っておいても夥しい情報が入ってきます。また、観る/読むという行為に至るには選択という作業があるわけで、そのためにはある程度の内容を知ることになります。

以前に紹介したMUBI (映画のストリーミングサービス。残念ながら日本ではやっていません)のよいところは30本にセレクトされていて、気づいたときに観とかないとアップされてから30日で消えて去ってしまうです。

それで、カラー作品であること以外、まっさらの状態で観てしまったのが、小津安二郎の浮草(Floating Weeds)。Ozuの映画だと気張らずに、何気にウィークデーの夜に。ワインもチョコもなしで。

(ネタバレしないあらすじ)

旅回りの一座が海べりの小さな町に到着する。このおっとりした田舎町に彼らが何をもたらすのかという期待を抱かざるをえない冒頭。低めに構えたカメラワーウに慣れた頃にストーリーの展開に引き込まれていく。この地に興行に来たのは、座長である駒十郎(中村鴈治郎)が、一膳飯屋の主であるおよし(杉村春子)に産ませた息子きよし(川口浩)と過ごす時間がほしいからであるものの、好青年に成長した息子には叔父ということになっている。久しぶりの再会に喜ぶが、そろそろ親子の名乗りをあげてほしいと願う母。一方駒十郎の女である一座の看板女優すみこ(京マチ子)は嫉妬にかられ、妹分の若い女役者かよ(若尾文子)に息子を誘惑するように金を渡す。客入りが悪く興業は終了し、次の街へ営業に出かけた先取りは金を持ったまま行方をくらまし、役者の一人が金を盗んで逃げ、一座は解散。恋に落ちたきよしとかよは駆け落ち。帰ってきたら親子の名乗りをあげようと思う父だが。。

季節は夏。蝉しぐれや氷すいや蚊取り線香、夕立ち、浴衣、提灯などが季節感の中たっぷりした情緒を匂い立ちます。赤をアクセントにして画面を締める手法は昨今の映画ではよくみられるものの、構図や遠近感がよく計算された図柄の中の昔ならではのさらりとした画質の赤は、でしゃばりすぎない。デジタルでエンハンスされたどぎづい赤とはかけ離れた出色。補色である緑の色調。強烈なダイナミズムを与える土砂降りの雨。また静かなモノや景色だけの短いショットで登場人物の心模様や物語の流れを淡々と映すやり方。好きだなぁ。

義理人情と親子の絆を縦糸に、男女の機微を横糸に織り込んで上手く作られている、といっても自分には横糸の描く模様がくっきり浮き立ちます。この話にでてくる3組の男女は、全く違っていながら男と女の真実を描いています。

駒十朗とすみこが土砂降りの雨のカーテンの向こう側とこちら側で罵倒しあうシーンは、傘の赤といい構図といい迫真の演技といい上半身のクローズアップといい抜きん出ていて、この雨のように超えられない深い河をはさんで向かい合うのが男女なのよ、とふんふん頷かせます。一方、嫉妬や激しい求愛を遥かに通り越したところにいるおよしと駒十郎の撮り方は、遠近感のある図。縁側のある奥の座敷に座る駒十郎と画面手前の厨房の板の間でお燗をつけるおよし。正面を向かい合わない男女。そしておたがいを引きつけるフェーズの若いかよときよしは、縦にも横にもとにかく動く、つまり、いちゃつく。でもわたしの目にはこのふたりを一番表しているのは、よく計算された構図の船の横で別れる別れないというシーンより、ふたりが食べ残した氷スイの器が並んでいる1秒ほどのカットかなぁ。

ラストのシーンの左に流れていく夜汽車の二つの赤いヘッドライトのように、くっつくことはないけれど、同じ方向に流れていくのが男女です。

歌舞伎役者を旅芸人に配役というのは流石。とにかく立ち振る舞いからカメラの見方とか、一挙手一投足(階段を登る足さばきが好き)を含んで、中村鴈治郎扮する駒十郎は粋で艶があり男っぷりがいい。女をあほだなんだと罵倒しようが、叩こうが、女たらしだろうが、女は惚れます。

そして、熟れたマンゴーみたいな強烈な芳香を放つ京マチ子。蕾からぱっと開いたばかりの薄桃色の薔薇のように可憐でゴージャスな若尾文子、そして派手じゃないけれど、日本の女のある側面が滲み出てみえる凛とした役者がいると舞台や映画が締まるのよね、と頷かせる杉村春子。女優ってはやっぱすごい人種の女たちなんだわ。

「粋』「艶」「色」「情」「業」という外国語訳がほとんど不可能なコンセプトを、さらりとしっとりと、でも他のOzuの映画より派手な撮り方で描出。こういうものを外国人はどのようにどこまで汲み取りながら鑑賞してるのだろうと思ってしまいます。英語の字幕はよく訳されていて、Ozuといえば海外でも非常に評価が高い監督であるけれど、やっぱ日本人にしかこの映画の放つ匂いは嗅ぎ分けられないのよ、と優越感みたいな余韻も。自分が外国映画を観るときのことは棚に上げて。サタジット・レイを観て感動したつもりでも、インド人にしかわからない微妙さはもちろん見えていないはずなんだけれど。

観る前にレビューなんか読むなといっておきながら、さんざん思ったことを書きなぐってしまいました。あらあら。

シェア
前の記事野外ロックフェスティバルの必需品的友
次の記事Control+Alt+Delete difficulty
モノクロ写真好きによる「こだわってるこれについてひとこと言いたい」ブログ。犬が歩けば棒に当たる的に社会・本・映画・フードなど。使用写真は自前です。

コメント欄